榎ありさの独り言だけど聞いてPart3

シンガーソングライター、司会、ヨガインストラクターの榎ありさのなんか色々♪

復興住宅

ただいま岩手に向かい中。

今週は、短時間でしたが

神戸に帰ってきました。

そこで、

今でも復興住宅に住まわれている地域へ伺って

いろいろとお話を伺ってきました。

ほとんどが、「超」高齢者、

または障がいを持った方々で

震災前まで住まわれていた地域とは違う場所で

16年近く、生活されています。

もう、16年「」経つのだから

「復興住宅」とゆうよりは

生活弱者のための支援住宅と思われがちなのですが

その生活弱者に陥ってしまった理由は

大震災。

まだ、終わっていないし

勝手に終わらせてはいけないし

でも、終わらせたい部分もあるし。

ただ、16年ここで生活をして

新しいコミニティ、人間関係が出来ています。

東灘から来たとゆうおばあちゃまも

「はじめは孤独死するかと思ってたけど

今は友達がおるよ」

と、お話してくれました。

きっかけさえうまく作れれば

例えば希望の地域に住めなくても

その地域になじむことは出来るんですよね、

おんなじ人間なんやし。

東京に住んでいる私には

地域」「コミュニティ」とゆう感覚が

ピンときませんでした。

むしろ

煩わしいもの、と感じていました。

だけど、神戸にいたときは

近くに同じ学校に行く人が住んでいて

登下校時には

母親の友達のおばちゃんがいて

コンビニの店員さんは

同じ地域に住むおじちゃんだったり

なんだかんだで、

顔見知りに守られて、

それを「安心」と知らずに過ごしていました。

そんな基本的なことも

今回の大震災は

思い出させてくれました。

今回の東日本大震災の被災地では

地域ごと仮設住宅に入ったところが多いそうなので

コミュニティが保たれている仮設住宅が多いのですが

早くて年後位から

仮設住宅から復興住宅などへ

移られる方が出てきます。

復興住宅に入ると

ボランティアや支援の目も届かなくなり

仮設住宅にいるときよりも

病気や孤独死が心配です。

そして、1年後も心配ですが

東北の冬

仮設住宅で乗り越えられるかも心配です。

灯油での火災、酸欠など。。

雪国を知らない私が心配しても仕方ないのですが

「震災で生き残ったのにね・・」

と言われる死を

一つでも減らしたいのです。

明日からまた

陸前高田に行ってきます。