関西版ですが
読売新聞の取材をうけ
掲載していただきました。
神戸のこと、歌っていることを
こんなに大きく取り上げていただいて
ありがたいです。
ただ、
記事の中で大きな誤りが二つ
うちは「全壊」はしていないし
亡くなった叔父と友人の話も
ごちゃまぜになっています。
お婆ちゃん家に避難していたことや
家族、友人の話をたくさんしたので
正しく伝わらなかったのだ、と思います。
そんな大きな間違い!?
当時、本当に全壊された方に申し訳ない
掲載された文面を見たときは
かなりのショックだったのですが
冷静になると
私の伝え方、話し方が未熟だから
こうなってしまったんだな、と思います。
自分では、理解しているお話でも
記者さんにとっては初めて聞くお話で
何時間も、ぐるぐる話す言葉を
(トータル10時間以上は聴いてくださったと思う)聴いて
それをまとめて
限られたスペースで文章にする。
それって、本当に大変なことだと思う。
ただ、
私も表現者の一人。
一人の人に
正確に伝えられない。
こんなことじゃダメだと
強く反省しました。
同時に
「伝える」「表現する」ことに
怖さも感じます。
記事を読んで
正直、綺麗にまとまりすぎていて
違和感を感じます。
最後の「 」の言葉も冒頭の言葉も
私の言葉では無く
記者さんの言葉
私は「忘れまい」とは思っていない。
「忘れちゃいけない記憶」でも
忘れたほうが、残りの人生楽に生きられるなら
「忘れていい」と思っています。
でも、
記者さんを責めているのではないので
誤解しないでね。
記者さんは、本当に良い方で
じっくりじっくり話を聴いていただきました。
今回の取材も、
阪神淡路大震災について
「忘れたいこと 忘れていくこと」を
そろそろ整理する時期に来ているのではないか
とゆう想いからで
でも自分は、神戸生まれだけど
震災の記憶がほとんど無い、
だから、
取材を重ねると、後ろめたさを感じる
とおしゃっていました。
若い神戸の方が
そして、こんなに大きなメディアが
こうして取り上げて下さるから
伝わっていくことがある。
だから、
今回取材していただいたことには
深く感謝しています。
後ろめたさなんて感じる必要ないのに。
ただ、
「私の言葉」で伝えても
それは必ず
「聞いた人の言葉」になり
その方がそれを発信したら、
またさらにそれは
「受け取った方の言葉」
になる。
伝言ゲームではないですが
発信したとおりに受け取って貰うことって
もしかしたら、不可能なのでは・・と。
「記者やディレクターは彼らのストーリーで記事や番組を作っていくから
半分方向が合っていたらOKとしましょ」
とコメントいただきました。
そうゆうこと、ですね。
たくさんの読者の方に、想像や
理解をしてもらいやすくするためには
明確なストーリーを作ることは必要で
それは、
私が作品を作るときにも
ステージに立つ時にも
ヨガを教えるときでも
きっと大切なこと。
言葉は発したときから
自分のものでは無くなる。
表現者として大切なことに
気がつかせてもらいました。
そして、ご縁をくれた方
取材をしてくれた記者さんには
本当に感謝しています。
阪神淡路大震災を忘れないように
活動している人がいる
この事実だけで
嬉しい気持ちになります。
全然まとまっていないですが・・・
そして矛盾してしまうようですが・・・
「正確」に伝わらなくても
誰かに話をじっくり聞いてもらうって
とても、心に良いことなんだな、
とも感じました。
細かいことも聞かれて
忘れていた記憶も蘇って
また過呼吸でたり、苦しくなったりしてるけど
でも、「思い出せる」時期にきたのかな
「整理」ができるようになったのかな
、と。
それも、私にとって
とても大きな収穫です。
最後に、
記事の中の、
カーナビを更新できない男性や
家の屋号を貼る女性
これだけを読むと
それぞれ一人づつしか居ないように感じますが
実際には男女関係なく
こうして過ごしている方が
東北にはたくさん居ます。
たくさんの方が
お腹の奥で痛みを抱えて、笑ってる。
それは、これからも伝えたいです。
、
素敵な写真撮っていただきました。
立川レストラン ラフラフです。